ジェイミーフォックスがとても上手にチェロを弾いていた。「Ray」の時も思ったが、この人はとても器用な俳優さんであると思う。
ジェイミーフォックスがチェロを弾くシーンで流れるチェロの音はノンビブラート。それでも音程がしっかりとれていて、とてもきれいな響き。当たり前だが、ビブラートの前に音程の方がずっと重要なようだ。
本日は、弓の毛替えにも行った。帰宅後、松脂を塗って楽器を弾いたら、なんと吸いつくように弾けること。まるで上等な弓の感覚だった。変わりようにびっくりした。ずいぶんキューティクルがはげおちていたんだろう。弓の毛替えはケチっていてはいけませんな。自分の弓本来の力を再認識した。
N2009年3月20日 兵庫県立芸術文化センター大ホール
PACオーケストラの音楽世界旅行
指揮・お話 岩村 力
オケ PACオケ
お子様対象と言ってもポピュラーは1曲も無し。しいて言えば、サンバの「ブラジルの印象」。それでもファミリーコンサートは成立するのだ。
出だしは本格的に「水上の音楽」よりアラ・ホーンパイプ。
ブラームスのハンガリー舞曲も第5番ではなく、第1番のチョイス。
中間にはメンデルスゾーンの「イタリア」1楽章と、ボリュームたっぷり。
観客参加型の企画がとても楽しく、パーカッションパート主催で全員でボディー・パーカッションの演奏。
会場を3つのパートに分けて、それぞれが違うリズムで体をたたいて音をだす。それをみんなで合わせて、オケの「ブラジルの印象」のサンバ演奏で大合奏。これがとても楽しかった。
本当にありがたいことに、入団している市民オケの指導に、馬渕清香さんが来てくださることがある。
馬渕先生が出演なさるJACACEPTのコンサート。
プロコフィエフ ソナタ作品56 (2Vn)
シベリウス 組曲 (Vn,Va,Vc)
ショーソン コンチェルト作品21 (Vn,StQuartet,Pf)
ベガ・ホールは内装が煉瓦でできているような赤茶色。ステージの照明も少しほの暗く、灯火の明かりを思わせる。まるで教会の中にいるよう。
そんな深い静けさの中でデュオやトリオが熱く絡み合う。わずか2本や3本の楽器だけど、音楽のもつはげしさをひしひしと受け止める感じだった。
個人練習で自分のセンスのないつまらない音ばかり聞いていて、音楽ってこんなにおもしろくなくて疲れるものだっけとほとほといやになっていたときだったが、力の限り表現するかっこいい演奏を聴かせていただいて、楽器を弾くことに対して、ものすごくエネルギーをいただいた。
カラヤンの死去は1989年7月。81歳。私がクラシックに興味を持ちだしたのが1987年頃。映像で見るカラヤンは颯爽としたものもあれば、突然、キーシンとのPコン(1988年12月)では、指揮台に上がるだけでも大変そうなおじいちゃんの姿であったりしてどれが本当のカラヤンの姿がわからなかったものだ。
1986年の「展覧会の絵」の時はすでに78歳。しかし本当に颯爽と指揮をしている。映像も自分の美学を追及するような映像だった。それが、わずか3年で急に老いがおそってきたのだなあ、と感じる。
実質的にカラヤンが「ヨーロッパ楽壇の音楽総監督」として帝国を築いていたのは、1957年~1964年の7年間にすぎないとのことである。ウィーン、ミラノ、ロンドン、ベルリン、ザルツブルグ。64年以降は、ベルリン、ザルツブルグだけを拠点に活動し、晩年になって再びウィーンフィルとも縁りを戻す。
ベルリンフィルで音楽監督として長く活動していたから団員から一身に尊敬を集めていたのだろうと思っていいたが、そうではないらしい。決まった曲を繰り返すコンサートのレパートリー、女性団員の加入、自分のいいなりになるマネージャーの人選。
そのベルリンフィルとの確執が、晩年にウィーンフィルと縁りを戻すきっかけとなったらしい。
カラヤンは聴衆から圧倒的に支持を得ていた。彼の演奏はお金になった。自分でそれがわかっていた。だから、レコード会社、市、楽団員、楽団マネージャーと確執した。自分の意見が通せるように。
カラヤンは独裁者の印象が強いが、音楽を作り上げることに対してとても合理的な考えを持っていたようだ。
オーケストラの楽団員にとっては、リハーサルは少ない方がいい。指揮者としては、自分の意思を伝えるためにはそれなりの時間がほしい。双方の気持ちは全く相反する。
ところが楽団員にとってはコンサートのリハーサルに出るのは固定給のうちだが、レコーディングとなると別収入が入るので事態が変わってくる。
仕事の内容はリハーサルと同じだが、レコーディングであれば、楽団員は何時間でも喜んでつきあってくれる。しかもその費用はレコード会社が支払うので、オーケストラ全体としての会計には影響が出ない。
だから演奏会の前にレコーディングをすることにし、そのレコーディングのためにリハーサルを念入りに行う。演奏会も十分にカラヤンの意思が伝わって開催することができる。レコードが売れたカラヤン・ベルリンフィルだからこそのアイデアだったのだと思う。
指揮:齊藤一郎
ヴァイオリン:林七奈
今週もニューイヤーコンサートでウィンナワルツをたくさん聴かせていただいた。
JシュトラウスⅡの「エジプト行進曲」という曲では、会場のお客さんにメロディーに合わせてラララで歌ってもらう楽しい趣向があった。
林七奈さんにヴァイオリンは後半のステージのツィゴイネルワイゼンとフォーレの子守歌。オーケストラと息もピッタリだった。フォーレの子守歌は初めて聞く曲だけど静かな曲でいい曲だったなあ。
大阪シンフォニカーのチェロパートは男性はトップの一人だけで後の6人は全員女性だった。そんな女性多数の中で、男性トップのチェロソロが活躍する曲もあって(オッフェンバックの「天国と地獄」序曲、シュトラウスの美しく青きドナウ)、大変やろなあと思いつつ、チェロ独特の甘いいい音を楽しめた。
最後のアンコールはお約束どおりのラデツキーマーチ。これを演奏してくれないとウインナワルツの演奏会を聴きにも来て帰れない。満員のお客さんが手拍子で一つになってにぎやかに終わった。どんな形であれコンサートに行って演奏に参加ができるのは楽しいなあ。
伊丹アイフォニックホールへ初めて行ったが、客席500の音楽演奏を中心としたホールでとても奇麗なホール。天井に木で細工された花の造形がとても美しい。すぐ隣には収容人員が大きい伊丹ホールがある。文化的施策に力をいれている都市なのだなあと思った。
ヨハン・シュトラウス・アンサンブルはウィーン交響楽団(ウィーンフィルではない)の首席メンバー12名で構成。ヴァイオリン3、ヴィオラ1、チェロ1、コントラバス1、フルート1、オーボエ1、クラリネット1、ファゴット1、ホルン2。
葉加瀬太郎が年を食ったようなお茶目な外見の第1ヴァイオリンが曲間にスピーチを交えて、アンサンブルの輪の中心になって演奏を進めていく。日本語で「あけましておめでとござます」とか「こにちは」とか「おおきに」とか言って場をなごませながらの楽しい2時間。
シュトラウスの音楽は軽やかでうきうきしていて新年の晴れやかな雰囲気にとてもよくあっている。ウィーンのニューイヤーコンサートでもうすっかりおなじみになっている雰囲気。
いつか、お正月はあんなふうにシュトラウスのワルツやポルカを演奏する側になってお客さんによろこんでもらって過ごしてみたいものだなあ。
でもシュトラウスの曲は技術的にはとても難しそうに思った。独特のリズムはもちろん、弓を飛ばしたり、勢いのよいスフォルツァンドもあれば、レガートに美しく歌いあげるところもある。早いテンポの曲は軽快に指を回さないといけないし、リズムセクションに回ると裏打ちもどんどん出てくる。とても大変そうだ。
指揮者のいないアンサンブルなので、みんながアイコンタクトでリズムの揺れを合わしたりして、あわせた後に「うまくいった」と嬉しそうに奏者の表情がゆるんだりするのを見れたりするのは、こちらもなんだかうれしくなってくる。
ニューイヤーコンサートを意識してか、最後の曲は「美しく青きドナウ」。最初の心を震わせるようなトレモロと、それにのっかって奏でられるホルンとチェロの牧歌的なメロディー。聞くだけで涙が出てきそうになる。いい曲ですなあ。
そしてアンコールの最後は、期待どおり、ラデツキー行進曲。お客さんも知りえたもので、手拍子の大きくたたくところ、小さくたたくところもぴったり合って、演奏者もお客さんも一体となって大変もりあがって演奏会が終わった。
街のコンサートなどで、歌詞カードを配って最後にみんなでいっしょに歌っいましょうというのがあるけれど、あれと一緒で、お客さんが演奏に参加できるのは楽しいですなあ。
昨年の冬のメサイアで、アンコールにお客さんも一緒になってハレルヤコーラスを歌って締めくくったけれども、見に来てくれた人は楽しく感じてくださったかなあ。
2003年3月にブエノスアイレスで行われた、ブエノスアイレス・タンゴ・フェスティバルのドキュメンタリー映画。
抱擁。映画の中ではドイツからの参加したダンサーが反語のようにその言葉を使っていた。ヨーロッパのタンゴはアルゼンチンのタンゴと比べて抱擁が少ない、と。
タンゴバンドや歌手が次々と登場して演奏する。ダンスシーンも圧巻。個人的には演奏のシーンに興味がいく。バンドネオン3台、ピアノ1台、パーカッション3台、ヴァイオリン6台、チェロ1台。こんなバンドもあった。
バンドネオンの男が言っていた。楽器を弾くには手を抜いちゃいけない、プロとしてやっていくなら。毎日酒を飲んで太ってしまったように見えるミュージシャンだが、音に対する神経がこまかい。リハーサルで楽器ごとの音量のバランスについて、バンドネオンの音をもっと出してくれ、とPAに対してしつこく何度も何度も繰り返して要求していた。
また別のバンドネオン奏者は、一日の大半は楽器を弾いている、と言っていた。タンゴをとりあげたら自分には何もないとも。ただただ楽しいだけで楽器が弾けているように見えるおっちゃんだが楽器を離さないのであるな。この人たちまでくると練習は努力ではないのであろう。
主にはピアソラしか知らないが、やはりタンゴは情熱というか胸に迫るものがあって、とても好きである。この映画でも音楽がとてもよかった。
約2年ぶりの山歩きはダイアモンドポイントを通るルートを選んで歩いた。
2年前の夏の大切戸縦走のあとゴム底がはがれて登山靴を買い換えてからずっとそのままになっていた。体重も増えたしお腹もつき出たし、足もでかくなって靴が履けなくなっているんじゃないか、という思いは杞憂だった。「ほっ」としながら阪急「六甲」駅に向かう。
護国神社前の交番を山側に折れ、急坂の住宅街を登りぬけ、いよいよ杣谷のルートへ。久し振りの山歩きはきついなあ。1時間半ぐらいかけてやっと山上のドライブウェイへ到着。あとは山上の縦走路や別荘地の小道を抜けるのみ。裏六甲へまわり、いよいよダイアモンドポイントへ。
北側に180度視界が開けた。三田の奥の方の山並はなんという山達だろう。あの山間を中国自動車道が走っているはずだ。冬の澄んだ空気がどこまでも向こうの稜線を透き通って見せてくれる。
すがすがしい気持ちで景色を眺めたあとは、神戸電鉄に向かって地獄谷西尾根を下っていく。しかしこれが、久し振りの山歩きにはなんとわかりにくい道だろう。
とうとう道をはずれて山の中で迷ってしまった。そのままおそるおそる降りて行ったら本で読んだとおり沢にぶつかってしまい先に進めなくなった。時刻は午後3時。大丈夫、日はまだ沈まない。踵を返し山頂めがけて登り返す。ただ来た道がどれかわからない。携帯を持っているから帰れなくなってもなんとか連絡はつくだろう。周りを見回しながら慎重に上っているとやっと目印が見つかった。見落としていた下山路の標識も見つかった。
帰りは神戸電鉄「花山」駅へ。この周囲は三宮郊外の住宅地となっていた。
今回はコースタイムを書きとめなかったのできっちりとはわからないけれども、山の中で迷った時間も含めて、約4時間半の山行。久し振りの山歩き、完歩できてほっとした。
1か月ほど前に見ていたのだけれど、今日、オケの人に関連するサイトを教えてもらったので書き込みしておきたくなった。
ほぼ日刊イトイ新聞
http://www.1101.com/okuribito/index.html
主人公は東京のオーケストラに所属するチェリスト。しかし経営悪化でオーケストラが解散になり故郷山形へ帰って就職活動をし、たまたま納棺士という職業につくことになった。
庄内平野の真ん中で雪をいただいた月山を背景にチェロを弾く本木君の姿がとても様になっていた。
音楽は久石譲さん。チェロ演奏の音は古川展生さん。
ほぼ日刊イトイ新聞の記事によると、モックンは15年ほど前に行ったインドへの旅行、そして納棺士日記という本との出会い、そのころからお葬式、納棺士にまつわるお話を映像で表現したいと考えていたそうだ。15年の時を経て協力者が次第に集まって映画ができあがったそうである。
多くの舞台はお葬式。生から死へのたびたちの場面。武道や茶華道の型のように美しく冷静に儀式を進めていく。美しく化粧をしてあげてまるで生前のようになった遺体をご遺族にお渡しする。大きな盛りあがりというものはなかったような気がするけれども、「死」ばかりではなく「生命」のエピソードもまじえながら、ちょっとユーモアもあって日本人の生活の一部を静かに表現した映画だったと思う。